サン・サーンス, シャルル カミーユ
Composer Information
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns, 1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、フランスの作曲家、ピアニスト、オルガニスト。 音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍したほか、少年のころからさまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した。一流のレベルとして知られるのは詩、天文学、数学、絵画などである。特に詩人としての活動は多岐にわたり、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。 その博識ゆえの嫌味な性格は人々の良く知るところであり、アルフレッド・コルトーに向かって「へぇ、君程度でピアニストになれるの?」といった話は有名である。これは、彼が超一流しか眼中になかったことを示すエピソードでもあった。実際にサン=サーンスが完璧と評した生徒の中に、ピアニストのレオポルド・ゴドフスキーがいる。 晩年、印象主義音楽の台頭の中でも近代音楽を批判し、すでに保守的とみなされるようになった作風による創作を第一次世界大戦後も死の直前まで続けた。若き日のドビュッシーは、サン=サーンスの典型的な批判者であった。しかしドビュッシーはまた「サン=サーンスほどの音楽通は世界広しといえどもいない。」とも評している。当のサン=サーンスはドビュッシーの交響組曲『春』に対して、嬰ヘ長調であることを理由に管弦楽に適さないとして酷評している。しかし、『動物の謝肉祭』では和音の平行移動などの多くの印象主義の技法を駆使(「水族館」)するなどしている。 映画『ギーズ公の暗殺』のために史上初めてオリジナルの映画音楽を作曲したことに象徴されるが、サン=サーンスは様々な音楽分野において先駆的な役割を果たしている。 サン=サーンスが古典音楽に固執し、また不人気であったかのように記されることがあるが、それは正しくない。国家的な大音楽家とみなされていたことは、葬儀が国葬であったことからもわかる。 [ 資料は百科事典 ウィキペディア Wikipedia から ]
Work
- ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調作品61
- ピアノ協奏曲第2番 ト短調 Op. 22
- ピアノ協奏曲第4番 ハ短調 Op. 44
- ピアノ協奏曲第5番 ヘ長調 「エジプト風」 Op. 103
- チェロ協奏曲第1番 イ短調 Op. 33
- 交響曲第3番 ハ短調 「オルガン付」 Op. 78
- 死の舞踏 (サン=サーンス) (今週のリスナビ 2015.10.30)
- クラリネットソナタ 変ホ長調 作品167
- 歌劇「サムソンとデリラ」
- 黄色の王女 Op. 30
- 動物の謝肉祭
- パリュサティス
- ハバネラ(アヴァネーズ) Op. 83
- Romance in F major, op.36
- 序奏とロンド・カプリッチョーソ イ短調 Op. 28
- 死の舞踏 (サン=サーンス)
